生物多様性のお話会

昨日、生物多様性に関わることで、ものすごくパワフルに活動なさっている女性のお話会に行ってきたよ。
坂田昌子さん。やっとお会いすることが出来ました。

■生物多様性とは、多様のいきものが、直接的 間接的に、お互いに関わりあいながら、生きていること。

①種(しゅ)の多様性
→一般的な種の違うもの

②生態系の多様性
→海なら、砂浜 磯 浅瀬 沖 深海…
山なら、里山 奥山 広葉樹中心の森 人工林…
川なら、沢 細流 河川 岩場 緩やかな流れ…
それぞれに適応するいきものが住む。
→生態系が豊かなのにも関わらず、いきものが暮らす場所として、世界として危機的である34箇所の中に日本列島すべてが入っている。

③種内(遺伝子)の多様性
→遺伝子がみんな違うことで、種の存続をする。同じ遺伝子だとひとつのウィルスで全滅する。

■現在、人間というひとつの種によって、多くのいきものが絶滅に追いやられている。
地球の歴史上はじめての危機をむかえている。

地球には『いきもの(人間も含む)同士の関係をとり結び、長い時間をかけて紡がれてきた物語』がある。

…他にも、知恵の宝庫を引き出す重要性や、妖怪のお話、神さまの話、先住民族が先住民かっこいーブームに対して感じていることのシェア、ヤモリの話、豊かさの見直しの提案…

もう、盛りだくさんだけど、もっともっと聞いていたい、いちいち頷くような話ばかり。


人間に置きかえないと理解出来ない人が居る。
割とそれは多いみたいだ。

例えば、
「この場所は、たくさん生息しているいきものしか居ないから、宅地に開発したり高速道路を造ったりして大丈夫ー」という発想。
それは、
「人間はたくさん居るから、この県を丸ごと潰して人が死んでも大丈夫ー」と同じこと。

例えば、
「小さないきものを虐待することは、あってはならないことです。
そういうことをする人は、やがて人を傷つけます。」
という広報をしないと伝わらない現実。
人を傷つけるようになるから、ダメなんじゃないと理解しつつも、いきものの安全を守ろうとする人たちは、そのように表現しないといけない。

例えば、
山だってそうだ。
「土砂崩れの恐れがあって、民家がのみ込まれたり、道路が塞がれたりして、人が困るから、手入れしないといけない」の?
違うよね。

理論的にいちいち説明しなくても感覚で分かる者にとって、そのジレンマは日々果てしないモノと感じる。
「わたしは人間です。」と同じレベルで「言わんでもわかるやろ」なのだ。

でも、坂田さんのように、分かりやすく丁寧に、理論的に広報する必要は、あるんだろうなぁ。

問題は、お話会にはある程度わかる人しか来ないってことだ。
そして、それを受けとるアンテナが立っていない人が、牛耳る世の中のようだ…ってこと。
もしくは、お金にならないから、耳をふさいでいる多くの人が居るようだということ。

問題は問題だと認識するから問題なのだよ…
それもアタマでは、分かるんだよ(´・_・`)

はぁ。

こういうことに触れると、ステキな感覚の持ち主がいてくださる安心を感じると共に、子どもの頃から蓋をしている箱が少し開いたりして、
わー
わー
わー
ってパニックになりそうになる。

美しい月曜日のメランコリー。

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